10月14日撮影
種類別コンテストの部
※ 二本松少年隊
戊辰戦争―二本松の戦いにおいて、藩の兵力は仙台などの応援兵を合わせても僅かに約1千人、それに対して薩摩・長州・土佐などの西軍は約7千人、徹底抗戦の末、1868年(慶応4・明治元年)7月29日正午前、ついに二本松城は炎上し、落城しました。
正式に編成され名が付けられた会津藩の少年16、17歳からなる「白虎隊」とは違って、二本松藩の場合は西軍(討幕軍)が二本松城下に切迫する直前に、出陣を志願した13歳から17歳までの少年たちが緊急に各部隊へ配属されたため、正式な名称はありませんでした。
1917年(大正6)9月15日、戊辰戦争後“賊軍”の汚名をかぶされ、ひたすら沈黙を通し続けてきた旧二本松藩士らにより戊辰戦没者の50回忌法要が、旧藩主丹羽家菩提所の大隣寺において盛大に行われました。(二本松観光協会HPから抜粋)